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made in tokyo

縫製の人の味方でありたい

縫製という仕事で思い浮かべるのは縫う事だと思いますが、縫う為には生地を裁断しなければなりません。なのでまず最初の作業は裁断です。・・・・。 とはならないのです。

最初の作業は仕様書類の確認とパターンの確認です。どんな商品になるのか知ることから始まります。プラモデルと一緒です。 作る前に説明書を見ましょうということですね。 ですが・・・・。その説明書通りと言うわけには行かないのです。仕様やパターンに問題があればパターンナーの方に相談してこちらで修正するか、 パターンを再送してもらうかになります。生地や付属に間違いが有れば生産の方に連絡をして新しい付属を貰うか、 工場に在庫があればそちらを使用したりします。生地に避けられない不良があった場合は再送していただくか、 反物のまま修正に出すか、仕上がり後に修正してしてもらうかとなります。

何が言いたいかと言うと、最初にやる作業は説明書を見て作り方を確認する作業ではなく、 説明書通りに作って問題は起きないのか、商品を作るために適正な資材がそろっているのかを確認する作業なのです。

シンプルに見えるデザインでもパターンの作り方一つで複雑にも簡単にもなります。 資材に関しても一つの商品に必要以上の種類を使うこともあります。 確認項目は多岐に渡りますが、この最初のステップを無事に終えて、初めて作業が始まるのです。 このステップでは問題が起こるほどに仕事のタイミングは遅れて手間と時間をかけることになります。 この作業は縫製工賃としてしっかりと見積もりに反映されるべき手間なはずです。

SPA全盛期、安く早く作ろうをテーマに当時まだ人件費が安かった中国へコストを下げるために多数のアパレルが生産を移行しました。 ですがまだ中国の縫製工場や駐在の担当者の海外生産という経験は浅く、上で話したような確認作業を行っても、 より綿密な擦り合わせは出来ず、問題のある説明書のまま、問題のある商品や粗悪な商品が沢山産まれました。 当時、中国の縫製工場の仕上がりが不安定なのも事実でしたが、日本のアパレル側の指示にも充分に問題があったのも事実です。 その問題は今でも国内アパレルに根強く残っています。なので中国の縫製工場の責任だけというわけにはならないでしょう。 首の入らないトップスが本当に生産されてしまっていた時代なのです。難しい素材や複雑な仕様などは関係なく不良とは起こるべきして起こるのです。 その逆もしかりで、いい商品とは起こるべきして起こります。難素材であろうと工程の多い仕様だとしても成るべきしていい商品になります。 川上から川下へ理解し合えるバトンの受け渡しが出来ることが何よりその結果につながるんだと私は思います。 ですが、全てが上手くはいかないのが現実です。助け合ったり、責任を押し付けあったりしてバトンは受け渡たされていくわけですが、 結局、その問題は最終的に縫製工場に流れ着き、担うことになり、商品の仕上がりと一緒にその責任も負うことになります。 だから私は縫製の人の味方でありたいのです。