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made in tokyo

青森サンヨーソーイングを訪ねて

先日青森サンヨーソーイングさんを見学させて頂いた。 なんだかんだでみっちりと半日かけて見学させてもらったのだが正直それでも時間が足りなかった。 時間があればお手伝いをと冗談混じりで言われていたのだが。 そんな時間も当然無くなってしまった。

東北新幹線七戸十和田駅から徒歩3分の所にあるその工場は日本屈指のコート専門工場と呼ばれている。 量産工場なので扱っているのはもちろん量産型の既製服であるのだが、 実際は縫製工程の所々にまるでオートクチュールのような作業を行っている姿があった。 量産では本来そのような作業は現場の人達には嫌われてしまう、もちろん手間と時間がかかるからである。 おそらくパタンナーやデザイナーから指示があるわけでもなく、 自分達の思い描く品質を求める為に自らの意思でその作業を縫製工程に取り入れている。 それは工場内では当たり前の工程として長年引き継がれていることなのだろう、 縫製工程の中に縫製工場としての確かなプライドが垣間見える。

この工場が9月に行ったクラウドファインディングを利用したあおもり藍という藍染のコートの受注は追加生産まで完売するほどの人気だった。 実際私も試着させて頂いてまず驚いたのは着た時の軽さだった。 実は私は工場見学の前日に東京で何軒かお店を回ってコートを試着したのだが、 それなりの値段のするコートであれば縫製の品質は基本的にどこも綺麗に上がってる。 だがこれ程までに肩周りの着心地の良さと軽さのコートはそう簡単には無い。 コートを作る事に特化した工場がもつ肩周りの設計は神業と言っても言い過ぎじゃない。

ミシン場の見学の際は職人さん達の手元をじっくり時間をかけて拝見させてもらった。 そこに時間をかけた理由はメディアが発信するようなキャッチーな分かりやすい技術ではなく、 どこでも普通にやっている事なのに大袈裟に誇張している技術でもなく、 ミシンやアイロン台の上のその手元にこそ本当の技があるからです。 例えば、わざと縫い代を戻してからひっくり返すんだなとか、そこの返し針奥に流してからするんだなとか、 針跡を残さないように手縫い針を抜く位置決めてるんだなとか、 私が見学の際に気付いたその技を全て話し始めたらどれだけの時間が必要だろうか。 そういう所こそが真にリスペクトされるべき技術だと私は思っています。 そういう技は残念な事に誰にでも伝わるわけでもなく、 気づいてもらえることもなく縫製工程の中に埋もれていくことになります。 それでもあたりまえの如く技を一つ一つ積み重ねていけるプライドが商品の顔を決める事になる。 そのプライドが商品に凛とした佇まいを作り出すのです。

今国内に残存する全ての縫製工場にというわけにはいかないかもしれないが、 その多くに上で話したような技術を積み重ねられるプライドがあり、 オリジナリティとスペシャリティを兼ね備えている。 何が言いたいかと言うと、どこの工場も凄いのだ。業界の人と話す時、どこの工場がいいかとか、 他社の仕上がりを見て欲しいとか言われることがあるが、どこの工場も良いし、仕上がりを気にする前に仕様を見直した方がいい。

昔、縫製工場というのは他工場の仕上がりにやたら厳しく、自社のやり方しか認めず、自社の主張が全てでした。 そんな競争できる相手も減りそんなことをしてる場合じゃないとやっと気付けたのです。 今はもう自社も上げて他社も上げて縫製業界を押し上げることの方が大事です。 現状が底辺すぎるのですから、自社だけではなく縫製業界全体を押し上げることが次に繋げるための責務なのです。

現在国内生産は2%だとか言われている。とてもキャッチーなのでよく耳にするし目にもする。 初めて聞いた時はびっくりしたが、私にとってもっと大事なのは服を縫うことが好きで仕事にしたい人が何%いるかの方である。 それが0%ならそもそも産業として続けるべきじゃないが、残念ながらそんな統計はないので実際の数字はわからない。 分かることはこの青森サンヨーソーイングには東京からコートが縫いたいと入社した人や、 全く違う業種からコートが縫いたいと入社した人がいる。服を作るという仕事への憧れは消えてはいなのだ。 その数字が0%でない限り次の世代の事を考えることは我々の責務である。 服作りは楽しいだけで終わらせてはいけない、生きていけるだけの仕事でなければならない。 その責務を感じるところまで来たのだと実感する。